Wednesday, November 18, 2015

作家、村木嵐が読む『風かおる』葉室麟著 人の脆さ哀歓豊かに描く

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悲しいときや苦しいとき、澄んだ川のほとりで風に吹かれるかわりに葉室さんの小説を開く読者は多いだろう。『風かおる』はそんな期待に応える癒やしの一冊だが、実は正統派の推理小説でもある。

主人公の竹内佐十郎は妻に駆け落ちされ、一生を妻敵(めがたき)討ちに費やして病みやつれて帰藩する。ところが妻の出奔には裏があり、佐十郎は果たし合いに挑むことになる。

優しかった佐十郎の人生に何があったのか、佐十郎の養女・菜摘は、弟・誠之助たちとともに仕組まれた陰謀の謎を解いていく。佐十郎に寄り添う多佳や誠之助に思いを寄せる千沙、そこに佐十郎と出世を競った藩重役たちや彼らを操る人物が絡み、事態は思わぬほうへと進む。

それでも本書を読むと、つくづく生まれついての悪人はいないと気づく。断つことのできない愛や友情や共感を抱えて人は生き、だからこそ流されてしまうこともあると葉室さんは描いている。

ミステリの世界は年々派手になり、犯人は千載一遇のチャンスに複雑怪奇なトリックを仕掛け、都市さえ壊滅させる凶悪犯罪をまき起こしている。本書でも長崎のオランダ商館や抜け荷が関わり、張り巡らされた計略の大きさには慄然とさせられる。

だが葉室さんの小説の凄(すご)みは、その計略が身近にある怒りや嫉妬に根ざし、些細(ささい)な弱さに人が狂わされていく日常性にある。

悲しい真実に突き当たる過程で、千沙たち若者は懸命に自らの思いを相手に伝えようとする。これは、あとほんのわずかの強さがあれば運命を変えること ができた、佐十郎たちへの著者自身の哀歌にほかならない。人として筋を通し、他者をいたわることがときに酷(むご)い結果を生むという、人間の存在そのも のがはらむ脆(もろ)さに著者はいつも正面から立ち向かっている。

〈そうなのだ、どのような悲しい思い出も乗り越えていかねばならない〉〈風がかおるように生きなければ〉

さらりと書かれた一文に自らを重ねて足を止め、またしっかりと歩き出す勇気をもらう、それが葉室さんの小説だ。(幻冬舎・1600円+税)

sankei

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